元柔道選手、現在は女子プロレスラー。参議院議員。身長170cm、体重75kg、血液型B型。神奈川県横浜市磯子区岡村出身。私立横浜学園高等学校卒業。
・ジャパン女子プロレス(1986年〜1987年)
・フリー(1988年〜1992年)
・LLPW(1992年〜)
15歳から始めた柔道で、全日本選抜柔道体重別選手権(66キロ級)で3連覇、世界柔道選手権3位、福岡国際女子柔道選手権2位と国際大会でもトップクラスの成績を収めた。しかし神取は講道館と直接の関わりを持たない町道場出身だった為、柔道界ではあまり優遇されていなかったといわれている。
1986年、女子プロレス団体ジャパン女子プロレスに入団。1986年8月17日、後楽園ホールのメインイベントジャッキー佐藤戦でデビュー。その後、団体内のトラブルからジャッキーとの再戦で、神取いわく「(ジャッキーの)心を折る」壮絶なシュートマッチを行う。
2004年、参議院選挙に比例代表で自由民主党から立候補。「正直さ、イラク問題とかよく分かんないんだよね、ぶっちゃけ」など政治家候補とは思えぬ物言いで選挙戦を戦ったが、次点で落選した。
2006年9月28日、竹中平蔵が参議院議員を辞職したことにより、自由民主党比例代表選出議員に欠員が発生し、前回選挙で次点であった神取の繰上げ補充を、10月3日中央選挙管理会が開いた選挙会で決定、翌10月4日に当選証書を交付し正式に議員に就任、同日初登院した。その際、トレードマークだった金髪を黒髪に染めている。また、同日、参議院議長は、本名の神取しのぶに代えて、神取忍を議員氏名として使用することを許可した。10月12日清和政策研究会(町村派)に入会した。
ジャパン女子プロレス(ジャパンじょしプロレス)は、かって存在した日本のプロレス団体。通称ジャパン女子またはジャパ女。運営会社は途中で変わり、1992年の解散時は「ジャパン企画プロモーション」が運営していた。 旗揚げ戦は1986年8月17日。日本女子プロレスが国際プロレスに吸収されて以来、女子プロレス団体は全日本女子プロレス(全女)しかなかったが、ジャパン女子は全女のクラッシュギャルズ人気を引き金とする女子プロレスブームを背景に、「プロレス版『おニャン子クラブ』」を当初のコンセプトとして設立された。そのため、旗揚げ時には芸能事務所「ボンド」が関わり、おニャン子クラブをプロデュースした秋元康がアドバイサーとして関与していた。またコーチ役として男子プロレス界から山本小鉄を招いた。 元全女のジャッキー佐藤、ナンシー久美とシュートボクシングの風間ルミ、柔道の神取忍を四天王とし、アイドル系の尾崎魔弓、キューティー鈴木、悪役のイーグル沢井などを輩出した。
LLPW(エルエルピーダブル、Lady's Legend Pro-Wrestring)は、日本のプロレス団体である。運営会社は株式会社エルエルピーダブル。 1991年1月のジャパン女子プロレス解散後、所属選手は同団体の子会社「JWPプロジェクト」を母体にJWPとして再出発する予定であったが、選手会が分裂し、ハーレー斉藤、大沢ゆかり(=ジェンヌゆかり)、斉藤緑(=キャロル美鳥)、二上美紀子(=GAMI)、遠藤美月の5選手はJWPに加わらないことになった。この5人と、前年にジャパン女子を退団した半田美希、穂積詩子、北村真美(=レオ北村)のグループ、解散直前にジャパン女子を離脱した風間ルミ、神取忍が合流し設立されたのがLLPWである。旗揚げに際しては、全日本女子プロレスでタッグチーム「JBエンジェルズ」として活躍した立野記代、怪我などで一度引退している長嶋美智子(全女出身)と安田留美(ジャパン女子出身)、ジャパン女子の最終興行で一旦引退を表明したイーグル沢井がさらに加わっている。
任期は6年で解散がなく3年ごとに半数を改選する。選挙が行われる年は必ず3で割れる年になる(最初が1947年のため)。参議院議員の任期は前の通常選挙による参議院議員の任期満了の日の翌日から起算するが、通常選挙が前の通常選挙による参議院議員の任期満了の日の翌日後に行われたときは通常選挙の期日から起算する。 選挙権は20歳以上の日本国民、被選挙権は30歳以上の日本国民に与えられる。
横浜学園中学校・高等学校(よこはまがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県横浜市磯子区にある私立高等学校。